私たちは過剰な情報の氾濫する社会に生活しているとはいえ、都合のいい情報だけを選択することができるから、知りたくないものについては、目をつぶることだって可能だ。

そうして、意識の下におしこんでしまった問題のツケがやがて回ってくる。それが食糧問題であり、地球環境問題でもあるのだが、今はもうごまかしきれない時代になってきた。

環境ホルモンが生まれてくる子に悪影響を及ぼすとか、知らぬ間に精神や脳神経系統への過重なストレスが異常な犯罪行動を生み出すなど、あらゆる問題が他人事では済まされなくなってきている。

これまで見て見ぬ振りをしてきた領域から、さまざまな問題が自分に向けて突きつけられてきているのではないだろうか。

しかも、それを解決することがいよいよ個人のレベルで求められてくるのが、二十一世紀という時代だろう。もし、それから逃げようとすれば、私たちは幼い意識の段階にとどまり、進化する宇宙の軌道に乗れなくなる。そして、淘汰されてしまうわけだ。自分が生き延びるためには人類全体のサバイバルを考えざるを得ない。

宮沢賢治は「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」と言った。
易学の大家であった江戸時代の水野南北(1757~1835年)は、運勢を鑑定するときに、人相や手相を見るより、まずその人の食事の多寡を聞き、それによってその人の生涯の吉凶を占えば、万に一つもはずれないことに自信を深め、それを観想法の奥義・極意としたといわれる。

「いかなる悪相の人でも、食を粗食にして節制すれば、いずれは運が良くなり大成する」と断言しているくらいだ。それくらい粗食は健康の必須条件であり、それを守るかどうかで人相、運勢まで変わるというのだ。

人々が自然食とか健康食を求める傾向はもちろん歓迎すべきことだが、むしろ地球全体のことを考えると、もっと気づいてほしいのは、基本食と少食の意義だ。これから将来に、地球に何か重大なことが起こるという、多くの世紀末の予言があったが、大地震が起こるとか、火山が大爆発するとか、日本が沈没するとか、いろいろ言われてきた一方で、そんなことは起こるはずがないと希望を持っている人もいたのである。

これは精神世界ブームの影響から、天変地異も人生で起きるさまざまな出来事も人々の理念が原因しているという情報が広まり、人々の思考を何でも前向きに考えていくというポジティブシンキングが出てきたことと関係が深い。

私も最悪の事態は起きないと確信しているものの一人であるが、それも口コミによって世界中の人々がライフスタイルを変えてくれるという、希望や期待がもててこその話である。

現実には二酸化炭素がどんどん増え、温暖化によって地球が滅びるかもしれないという科学的事実による裏づけが、厳然としてある。政府のCO2削減目標があっても、人々の生活スタイルも変わりそうにないという、多くの人々の悲観的な見通しがある。

しかし、人々の良心を信じ、口コミの効果を期待して行動を続けていきたい。ライフスタイルの変革の重要性は今後ますます一般に理解されてくるはずである。

過去、埼玉県所沢市の焼却炉から発生したダイオキシンが、多くの住民にガンをもたらしていることが社会問題になったのがきっかけで、ドイツなどに比べて日本はあまりにも対策に遅れていたことが知られるようになった。日本人の場合は特に情報の影響が凄い。

だから、これからのマスメディアの使命とはくだらぬ好奇心をあおる記事ではなく、世の中の誤った常識を変えていく真実をもっと多くの人達に伝えていくことではないだろうか。


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